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ヘンリー・ハワード (サリー伯) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・ハワード (サリー伯)[はく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ヘンリー・ハワード (サリー伯) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・ハワード (サリー伯)[はく]

サリー伯ヘンリー・ハワード(、1517年 - 1547年1月19日)は、16世紀イングランド王国の貴族であり詩人ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンと5番目の王妃キャサリン・ハワードの従兄。
ノーフォーク公法定推定相続人として「サリー伯爵」の儀礼称号を称したが、襲爵前に刑死した。
== 生涯 ==
第3代ノーフォーク公トマス・ハワードの長男。母はトマスの二番目の妻で第3代バッキンガム公エドワード・スタフォードの娘のエリザベスであった。そのため父母両方を通して王の血筋を引いていた。ヘンリー8世の私生児であるヘンリー・フィッツロイと一緒にウィンザー城で育って親友となり、ヘンリー・フィッツロイが妹のメアリーと結婚したために義理の兄弟となった〔The Norton Anthology of English Literature: Sixteenth/Early Seventeenth Century, Volume B, 2012, pg. 661〕。優れた兵士であり、ヘンリー8世のフランス遠征に加わった。だが他の宮廷人に暴力をふるい、夜に街を歩いては家の窓を割るなどの粗暴なふるまいにより入牢を繰り返した〔The Norton Anthology of English Literature: Sixteenth/Early Seventeenth Century, Volume B, 2012, pg 661〕。1524年に祖父の第2代ノーフォーク公トマス・ハワードが亡くなり、父がノーフォーク公を継いだため、サリー伯の儀礼称号を帯びた。
1532年には従妹のアン・ブーリンと共にフランスに外交使節として赴き、一年以上滞在した。1536年には、長男のトマス・ハワードが生まれるも、ヘンリー8世の2番目の王妃となっていたアン・ブーリンが反逆罪で処刑され、ヘンリー・フィッツロイが17才で病死してハワード家の領地に葬られた。またこの年、父と共に修道院の解散に抗議して起こった反乱を鎮圧した。
1542年、もう一人の従妹でヘンリー8世の5番目の王妃キャサリン・ハワードがやはり反逆罪で処刑された。
年を取り、病に苦しんだヘンリー8世は次第に妄想に取りつかれ、サリー伯が息子のエドワード王子から王位を奪う計画をしていると考え始め、サリー伯と父のノーフォーク公を捕え、1547年1月19日にサリー伯を斬首した。ノーフォーク公は、処刑前に王が急死したために延命させられた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・ハワード (サリー伯)」の詳細全文を読む




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